Michel et Joanna Ecard ミッシェル・エ・ジョアンナ・エカール
フランス France / Bourgogne
サヴィニーの歴史「モーリス・エカール」の復活
サヴィニー・レ・ボーヌを高品質ワインで有名にした「モーリス・エカール」。ドメーヌはその名前と共に売却されてしまっ たが、息子「ミッシェル」がワイン造りを継承、復活させた。
サヴィニーの歴史
1789 年、「エカール家」が「サヴィニー・レ・ボーヌ」 に移住。その後 200 年に渡って「サヴィニー・レ・ボ ーヌ」でワイン造りを行ってきた。 「ミッシェル」の父「モーリス・エカール」は「サヴィニ ー・レ・ボーヌ」の父とも呼ばれ、名実共にこの地域 のトップ生産者であった。
『ミッシェル・ベタンヌ、パーカー、ジャンシス・ロビン ソン等が高く評価。サヴィニー・レ・ボーヌでも偉大 なワインが造れることを証明した』
ロバート・パーカーでは「サヴィニー・レ・ボーヌ」最高 の 4 つ星評価。マット・クレイマーは「サヴィニー・レ・ ボーヌ」を代表する造り手と紹介した。
『父のワインがサヴィニーを変えた。少し高い発酵温 度で凝縮した果実と鮮烈な果実香。父と共に働き ワイン造りを学んだ』
息子「ミッシェル」は父親の下で働きながら、ワイン 造りを学ぶが、「モーリス」は相続税の関係でドメーヌ の売却を決断。 一部の畑を残して醸造所もムルソーのネゴシャンに 売却してしまう。
『200 年続いたモーリス・エカールはその名称ごとメ ゾン・ジャン=バティスト・ベジョに売却された。ベジョ はモーリス・エカールというブランドの使用権が欲し かったのだ』
ベジョ社はその後も「モーリス・エカール」の名前でワ インを販売し続けたがワインは別物だった。
『父親の名前を汚されているようで許せなかった。 モーリス・エカールは名乗れないが、エカールのワイ ンを復活させようと決めた』
父モーリス・エカール
2004 年「ミッシェル」は妻「ジョアンナ」とドメーヌを設 立。「モーリス」が残した 1/3 の畑を使ってワイン造り をスタートさせた。
『2005 年から少しの畑とフェルマージュで得た畑を 使って少量ずつワイン造りを開始。新樽も買えなか ったので古バリックでのスタート』
設備の整った「モーリス・エカール」とは違い、少量 の葡萄を古いバリックで発酵。圧搾機やポンプはワ イン造りを引退したお年寄りに借りた。
『古いバリックでの発酵は今もそのまま。バトナージ ュは 1 回/日。サヴィニーらしい優しさに輪郭を足し ていく感じ』
父「モーリス」の時代と変わらないのが独特の発酵 方法。通常、30 度を超えるような発酵は醸造学上 危険とされているが、彼等は 38 度まで上げる。
高い発酵温度
『16 度から開始して発酵終盤は 34 度まで上がり、 最高 38 度まで上げることで完全に発酵を終え、ア ントシアニンやタンニンがワインに固定される』
その後、25 度程度まで下がった段階で圧搾し、バリ ックに移す。この温度も通常の造り手よりもかなり高 い温度。
『フォークリフトも無かった。手作業でワインを出荷し ていたら故パトリック・ビーズが従業員を連れてきて 何も言わずに手伝ってくれた』
厳しい時代を周辺の造り手「パトリック・ビーズ」や「フ ィリップ・ジラール」「ヴァンサン・デュルイユ」が助け てくれたのだそう。
『パトリックはこの Conard(馬鹿)を手伝え、と自分 の従業員に言った。口は悪いが優しい人だった。今 でも忘れられない』
全ての畑は「リュット・レゾネ」が採用されている。勿 論、除草剤等は一切使用しない。 父親のスタイルを受け継いだピュアな果実と鮮烈な 印象の彼等のワイン。正確だが難しさの無いフレンド リーさも併せ持っている。