Le Piane レ・ピアーネ
イタリア Italia / Piemonte
ネッビオーロの北限『ボーカ』復活
50年代に全滅した産地ボーカを最後の造り手アントニオ・チェッリから引き継ぎ、復活させたクリストフ。今では各 評価誌で最高評価を獲得している。
薄れていくピエモンテの個性
「バローロ」や「バルバレスコ」を中心にランゲ地区は間違いなくイタリアを代表する産地で「ネッビオーロ」はイタリアを代表する高貴品種。近年、昔ながらのネッビオーロの個性を味わう機会は激減している。特にランゲの伝統的ネッビオーロに出会えることは稀になってしまった。
『ボーカには昔のピエモンテがまだ残っている。仕立も栽培も醸造も。そして人も。ピエモンテらしさを残 していきたい』
「レ・ピアーネ」の現オーナー「クリストフ・キュンズリ」は元々ワインのインポーター。「イゾレ・エ・オレーナ」や「G.D.ヴァイラ」等、自分の好きなイタリアワインをスイスに輸入していた。
『イゾレ・エ・オレーナのルーカがレ・ピアーネを飲ませてくれた。衝撃だった。他のどのネッビオーロより偉 大なネッビオーロだった』
「クリストフ」はピエモンテの北端「ボーカ」の小さな造 り手「レ・ピアーネ」に毎月通うほど夢中になっていく。当時のオーナーは「アントニオ・チェッリ」。
『当時、ボーカの造り手は7人まで減少していた。アントニオ・チェッリのワインは奇跡だった。大樽で10年も寝かすなんて常識ではできない』
高齢だった「アントニオ・チェッリ」が病気でワイン造り を断念した時、家族はカンティーナも畑も手放し外 国人である「クリストフ」に託すことにした。
『他にやる人がいなかった。自分の愛したボーカが無くなるのは嫌だったので引き受けた』
「クリストフ」が引き継いで20年。今では最北のネッビオーロの産地として注目され、造り手も15人まで増えた。町自体も活気づき、中断されていた朝市も復活。町の中央にはバールも復活した。
50年、51年の雹害で全滅
『アントニオ・チェッリの醸造、畑仕事を忠実に再現 していった。特殊なマジョリーナ仕立もそのまま残し た。栗樽だけは壊れてしまった』
「マジョリーナ仕立」は 2~3 本の樹を棚作りにし、人が輪になって手をつないでいるように枝を仕立てる もので雹が多いこの地域独得の仕立。
『1950、51 年にワインを全く造れないほどの雹害 が続いた。すでに衰退し始めていたボーカは完全に 終わったと言われている』
「マジョリーナ仕立」は葡萄が下部に付き、その上に枝と葉が覆いかぶさるように仕立てるので雹が直接 葡萄にあたらない。 「ボーカ」はピエモンテの最北部に位置。標高は 500m を越える。北限に位置するが山に囲まれ盆地になっているので暖かい空気がたまる。オリーヴや椰子の木が育つくらいに温暖。 アルプスに近いので山風が湿気を除去し病害は少ない。夜間の山風は冷たく昼夜の温度差が激しくな る。これがワインにストラクチャーを与える。
『この激しい寒暖差が雹害を引き起こす。山に守られることもあれば山にやられることもある。自然に は逆らえない』
彼等の畑は国立自然公園に指定され、薬剤の使用は禁止されている。
火山岩のネッビオーロ
土壌は火山岩主体。そこに石灰岩と砂質が混ざる極度に痩せた土壌。
『ランゲは粘土石灰質でアルカリ性。ボーカは火山岩主体で酸性の土壌。PHも低く酸度の高い、硬質 なネッビオーロが産まれる』
火山岩土壌は通常「ソアヴェ」や「グレコ・ディ・トゥーフォ」など白ワインが造られる。赤ワインは「エトナ」が 有名だが非常に珍しい。 ランゲは進化している。進化の過程で欠点は薄まっていく。同時に「ピエモンテらしさ」も少し薄まっている のかもしれない。「ボーカ」はピエモンテの素朴さを感 じさせてくれる。
『僕は醸造家ではないのでアントニオ・チェッリの真似をしているだけ。彼のワイン造りにテクノロジーは無かった。感覚だけだった』
「ボーカ」は大樽で 4 年間熟成してからボトリング。瓶熟 2 年。バローロよりも遅れて出荷される。 もう 1 つ伝統のワインが「コッリーネ・ノヴァレージ」。
『白葡萄も含めた 13 種類の葡萄が混植された昔の畑。葡萄は一斉に収穫され、一緒に発酵される。 発酵終了後、澱引きしてそのまま 1 年間熟成して出荷される』
主要品種はネッビオーロとクロアティーナだが白品種のアロマティックな香も感じる。ミネラル表現に向く 素直なワインだが、懐かしい味わいがある。